前回の宇治上神社や恵心院の旅で、
宇治の持つ優しくてロマンチックな空気に
すっかり魅了されてしまった私。
その興奮も冷めやらぬまま、
今回は少しだけ足を伸ばして、
ずっと行ってみたかった禅の古刹
「興聖寺(こうしょうじ)」へと
バイクを走らせました。
この日の空は、今にも雨が降り出しそうな、
どんよりとした曇り空。
お天気が少し心配だったのですが、
お寺の入り口に佇む「琴坂」に
一歩足を踏み入れた瞬間、
そんな気持ちはどこかへ
吹き飛んでしまいました。

曇り空だからこそ、
頭上を覆う青もみじの緑が、
しっとりと深みを増して信じられないほど
鮮やかに目に飛び込んできます。
周りには人影もなく、本当に静かでした。
耳の奥に優しく響くせせらぎの音と、
瑞々しい新緑の匂いを運んでくる風だけです。
歩いているだけで、身体の中が緑の空気で
ゆっくり満たされていくようでした。
琴坂を登りきり、
あの白いお城のような
竜宮門をくぐり抜けて境内へ。
「あれ? 誰もいないな……」と思うほど、
境内は静まり返っていました。
まずは拝観をさせていただこうと、
ドキドキしながら朱印受処(受付)へと向かいます。

中に入ると、どこか懐かしい雰囲気の
自動券売機がぽつん。
「なるほど、ここでチケットを買うのね」
無事にチケットを購入したまでは
良かったのですが、ここで早速、
小さな戸惑いが訪れます。
窓口の奥にお寺の方はおられ、
券売機の横には、小さな籠のような
チケット入れが置かれていました。
「ここに自分で入れればいいんかな?」
そこには何枚かチケットが入っています。
メモ書きで案内されているのですが、
よく分からずで。
多分あってるはず、自信はないけど・・・
心の中で安定のオロオロを発動させつつ、
そっと順路に従って奥へと進みました。

矢印の指す順路に従って、長い廊下を渡り、
「僧堂(そうどう)」と呼ばれる建物へと
たどり着いたときのことです。
ここでも人影はなく、静まり返っていました。
(ここ、中に入ってもいいのかなぁ……?)と、
少しおそるおそる、中へと入って行きました。
建物の奥へと足を踏み入れた、まさにその瞬間。
私の目は点になり、
心の中で「えーーーっ!?」と大絶叫
なんと、お堂のなかで、数人の方々が、
「坐禅」を組まれていたのです。
(えっ!? やってはる!)
あまりの想定外の事態に、私の頭の中は大混乱。
けれど人間というのは不思議なもので、
驚けば驚くほど、
なぜか足だけは前へ進んでしまうものらしく、
私はそのまま数歩ほど前進してしまいました(笑)。

目の前で坐禅をされている皆さんが、
完全に「無」になっておられるのが、
伝わってきます。
背筋は、まるで一本の糸で
引かれているかのように真っ直ぐ。
その空間だけ、時間の流れが
止まってしまったようでした。
凛とした、言葉にできないほど
「美しい空気」が流れていました。
(あかん、あかん!
私の雑念だらけの空気を持ち込んだらあかん💦)
そう思った私は、慌てて回れ右。
静かに、静かに退散しようと決意します。
足音を立てないように。
気配を消すように。
そろり、そろり――。
そう心に誓った、その時でした。
ギシッ。
静まり返った僧堂に、
木の板の軋む音が思い切り響き渡ったのです。
(うわぁぁぁ!!鳴ったーーー!!)
もう、本当に焦りました。
わざとじゃないんです。
本当に、仕方なかったんです。
もう、本当に焦りました💦
わざとじゃないんです、
仕方がなかったとはいえ、せっかくの皆さんの
瞑想の時間を邪魔してしまって
本当にごめんなさい……!と、心の中で
平謝りを繰り返しながら、冷や汗をかきつつ、
大急ぎでその場をそろりそろりと離れました。
でも、あれほど深く集中された坐禅の最中なら、
案外あの音すら
耳に入っていなかったかもしれません。
……そう信じたいです(笑)。

冷や汗をかいた僧堂を抜け、
再び静かな境内の順路を歩いていると、
お坊さまとすれ違いました。
さっきのドタバタでまだドキドキしていた
私でしたが、お坊さまは優しく「こんにちは」
と声をかけてくださいました。
私もホッとして、「こんにちは」と
挨拶を交わすことができました。
その一言だけで、焦っていた心がすーっと
穏やかになっていくのが分かります。
その先ではお庭の手入れを黙々と、
続ける方の姿も見えます。
急かされることのない時間。
静かに流れていく時間。
そこには、贅沢という言葉がぴったりの
空気が流れていました。
耳を澄ませてみると、静かではあるけれど、
興聖寺は決して「無音」の場所ではありません。
琴坂のせせらぎ。
風に揺れる木々の葉音。
鳥たちのさえずり。
自分の心をざわつかせるような音は
何ひとつなく、自然が奏でる
心地よい音だけが、
途切れることなく流れているのです。
五感で感じる禅の世界。
その静けさは、私の心を身体の奥底から
洗い流してくれたような気がしました。
帰り道、緑に包まれた琴坂の美しさを
もう一度振り返りながら、
私は心の中で静かに誓いました。
秋になって、この場所が真っ赤な紅葉に染まる頃。
今度はまた、違う音を聴きに来よう、と。

(2026年6月 500円)




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