木屋町・先斗町。初夏の高瀬川と、千鳥の石畳に転んだ日の記憶

木屋町・先斗町 京在住ノート


六角堂で「花を生かす、命の祈り」という
伝統の深い精神に触れ、
心洗われるようなひとときを過ごしたあと。

私はそこから少し足を伸ばして、
久しぶりに木屋町や先斗町の周辺を
のんびりと歩いてみることにしました。

ここは、私がかつて通勤や通学のときに、
毎日のように使っていたとても馴染み深い道。

一歩足を踏み入れた瞬間、
当時の自分の足跡が
そこかしこから蘇ってくるようで、
なんだか堪らなく懐かしい気持ちが
胸いっぱいに広がります。

まずは、木屋町通り沿いをさらさらと流れる
「高瀬川」のほとりを歩きます。

春になると、見事な桜並木が咲き誇り、
散り際のお花見シーズンには
川面がピンク色の花びらで埋め尽くされる
「花筏(はないかだ)」の名所として
知られるこの場所。

けれど、いまの季節に
改めて川を覗き込んでみると、
そこには眩しい初夏の光を浴びた、
どこまでも透き通った澄んだ水が、
サラサラと涼しげに流れていました。

ピンク色の季節も美しいけれど、今の時期の、
新緑を映してきらきらと輝く透明なせせらぎも、
目から涼を運んでくれるようで本当に素敵です。

同じ場所なのに、訪れる時期によって全く違う
豊かな表情で楽しませてくれる高瀬川の包容力に、
さっそく心が癒やされます。

高瀬川のせせらぎをあとにし、
お隣を並行して走る
「先斗町通り」へと移動しました。

格式高い花街の風情が残るこの通りですが、
実は数年前に電線類が地中化され、
足元の石畳もきれいに整備されたおかげで、
以前よりもぐっと明るく、歩きやすい
美しい街並みへと生まれ変わったのです。

この新しくなった先斗町を歩くとき、
ぜひ注目していただきたいポイントがあります。

木屋町と先斗町の間は、
大人がすれ違うのがやっとというほどの細い細い
「路地」が何本も網の目のように
突き抜けているのですが、その路地の中に、
木板の案内看板が掛けられているのを目にします。

実は、石畳が綺麗に整備されてからは、
向こう側の通りまで
「通り抜けができる路地」の足元には、
とっても可愛い
「千鳥(ちどり)」のマークが
ぽんと埋め込まれているのです。

この千鳥は、
古くから先斗町の紋章(シンボルマーク)
になっていて、足元の石畳だけでなく、
お店の軒先に掲げられた風情ある提灯にも、
ぷっくりとした愛らしい姿が描かれています。

一方で、
「通り抜けができない路地(行き止まり)」の
入り口には、木板の看板に、
はんなりとした京都弁でこう書かれています。
――『通り抜け出来まへん』、と。

昔に比べると、この味わい深い木板の看板自体、
現在はだいぶ数が減ってきているようなのですが、
こういう京都らしいユーモアと優しさに満ちた
街のディテールを見つけるたびに、
やっぱり京都の街歩きはやめられないなぁ、
と嬉しくなってしまいます。

そんな細くて入り組んだ
先斗町の路地を見つめていると、
ふと、この街が持っているもうひとつの
「激動の歴史」が頭をよぎります。

いまは観光客が行き交う平和な石畳ですが、
幕末の時代には、
新選組や尊王攘夷派の武士たちが、
追っ手から身を隠すためにこの狭い路地に隠れたり、
暗闇のなかで刀を構えて待ち伏せをしたりしていた、
まさに歴史の裏舞台そのものでした。

そのリアルな激動の記憶を確かめたくて、
少し歩いて「三条大橋」へと向かいました。

目指すのは、橋の南西側、手前から数えて
二つ目にある古い青銅製の「擬宝珠(ぎぼし)」。

その表面をじっと見つめてみると、
そこには今からはるか昔、

元治元年(1864年)に起こったとされる
池田屋事件の際につけられたと伝わる、
「刀傷」がはっきりと残っています。

激しい剣劇の火花が散り、
刀が金属を削った瞬間の衝撃が、いまもこうして
手の届く場所にそのまま遺されている。

その時を超えたリアルな歴史の重みにじんわりと
浸りながら、鴨川の方から吹いてくる
心地よい川風を全身に浴びました。

(あぁ、この涼しい風は、
激動の時代を生きた人たちも、同じように
感じていたのかもしれないなぁ……)

そんな風に、我ながら少し格好いい
歴史のロマンに浸っていた、その時でした。

風に吹かれながら、私はふと、
この木屋町通りを通勤で毎日歩いていた頃の
ある「大事件」を、
唐突に思い出してしまったのです。

それは、なんでもない、よく晴れたある日のこと。

道が濡れているわけでもなく、
何かの障害物があったわけでもない、
本当に「何もないまっ平らな場所」で、私は突如、
いきなり「ドンッ!!」と、ものすごい勢いで
派手な尻もちをついて
ひっくり返ってしまったのです……!💧

あまりの衝撃と恥ずかしさに、
赤面しながら慌てて周囲を見回すと、
すぐ傍を歩いていた通行人の方と
バッチリ目が合いました。

その方、「完全なる真顔」でした。

(お願いです。笑ってやってください……!
その方がどれだけ気が楽かーー!!泣)

心の中でそう激しく絶叫した、若き日の苦い、
けれど可笑しすぎる思い出。

さっきまで「幕末の武士の息遣いかしら……」
なんて、うっとりとロマンに浸っていたはずなのに、
鴨川から吹いてきた気まぐれな風は、
遠い歴史の記憶と一緒に、
私のどんくさすぎる過去の黒歴史まで、
ご丁寧にひょっこりと
運んできてくれたのでした(笑)。

伝統文化の深いルーツに触れた六角堂から、
高瀬川の初夏のせせらぎ、千鳥の石畳、
そして私の尻もちの思い出まで。

京都の街は、
ただ古い歴史が飾られているだけでなく、
そこに生きる人々の悲喜こもごもの日常が、
いまも昔も変わらずに優しく息づいている、
何より温かい場所なのだと改めて実感した、
最高のお散歩となりました。

帰り道は、お尻の痛みを思い出しながら(笑)、
鴨川の爽やかな風を追いかけながら
家路へと就きました。

みなさんも、六角堂の帰りに先斗町を歩く際は、
足元の千鳥マークを探しつつ、
何もない場所での足元には
くれぐれも気をつけて歩いてみてくださいね。

京都の街を歩いていると、ときどき歴史より先に、
自分の昔の記憶に出逢ってしまうことがあります。

この日、木屋町と先斗町で真っ先に出逢ったのは、
幕末の志士たちの足跡ではなく、
何もない場所で盛大に転んだ、
少し若かった頃の私自身だったのかもしれません。



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