一乗寺の瑞々しい新緑に導かれるように、
詩仙堂からさらに少し歩みを進めると、
もう一つの美しい古刹が静かに私たちを迎えてくれます。
臨済宗南禅寺派のお寺、「圓光寺(えんこうじ)」です。
いまや、苔の絨毯のなかに愛らしく佇む小さなお地蔵様や、
秋の息をのむような全山紅葉の美しさで、
京都を愛する人々の心の拠り所となっているこの場所。
このどこまでも穏やかで、優しい風が吹き抜ける境内の背景には、
かつて日本という国の未来を大きく変えようとした、
ある一人の偉大な天下人の、とても温かで知的な「夢」が隠されています。
昨日の詩仙堂が、元・徳川の武士がすべてを削ぎ落として見つけた
「個人の静寂」だったとすれば、
本日ご紹介する圓光寺は、その主君であった徳川家康公が、
日本の未来のために優しく灯した「文化の光」の物語。
庭園を包む初夏の緑がいっそう愛おしくなるような、
時空を超えた歴史の吐息を、ふわりと感じてみませんか。

武の時代から、文の時代へ――家康公が洛北に寄せた想い
戦国というあまりにも長く激しかった、血と白刃の時代。
その大きな嵐を終わらせ、
ようやく訪れた平和の幕開けに、
徳川家康公が「これから本当に必要なものは何か」
と考え抜いて出した答え。それこそが、武力ではなく、
人の心を豊かにする「学問の力」でした。
慶長六年(一六〇一(1601)年)、
家康公は国内の教育を大いに発展させるため、
足利学校の僧侶を招き、伏見にひとつの「学校」を開きました。
それこそが、この圓光寺の始まりです。
戦うためではなく、学び、深く考えることで、
人は本当の優しさや平和の意味を知る。
家康公が建てたこの学び舎には、
多くの僧侶や一般の若者たちが集まり、
熱心に書物を読み、議論を交わしました。
それは、暗い戦の時代を生き抜いた人々が、
初めて手に入れた「心調う、知性豊かな時間」の始まりでもあったのです。
のちにこのお寺は、ここ一乗寺の静かな地へと移り、
いまの美しい姿となりましたが、
境内に漂うどこか凛とした、
けれど包み込むような優しさは、
かつてここで学んだ人々が遺していった、
知的なぬくもりそのものなのかもしれません。

日本独自の「言葉」を紡ぎ出した、木のぬくもり
この圓光寺という学校で、
家康公が特に行いたかった一大プロジェクトがありました。
それが、古い大切な書物(教典や歴史書)を印刷し、
日本中に広く普及させることでした。
それまで、本というものは大変な貴重品で、
一文字ずつ手で書き写すしかなく、
限られた特権階級の人しか読むことができませんでした。
そこで家康公は、圓光寺に日本初となる
「木製の活字」をどっさりとお贈りになったのです。
そのために家康公は、圓光寺へ大量の木活字を用意しました。
小さな木片に文字を刻み、それを組み合わせて本を刷る。
いまでは当たり前のことですが、当時としては画期的な試みでした。
圓光寺から生まれた「伏見版」は、
日本の出版文化の夜明けを支えた存在として知られています。
現在もお寺の宝物館には、
その当時の本物の「木活字」が大切に保管されています。
展示室のガラスの向こう、
少し古びた小さな木のキューブたちを見つめていると、
かつてそこから、日本中の人々に知識を届けようとした、
古い時代の優しい情熱がじわりと伝わってくるような気がいたします。

十牛の庭に響く、時を超えた静寂の学び
そんな激動の、けれど文化への愛に満ちた
歴史のドラマをその身に宿しながら、現在の圓光寺は、
驚くほど静かで、ただただ美しい自然の調和のなかに佇んでいます。
本堂の前に広がるのは、京都屈指の名庭として名高い
「十牛の庭(じゅうぎゅうのにわ)」。
一歩足を踏み入れると、目の前を埋め尽くすのは、
言葉を失うほどに瑞々しい「青もみじ」と、
まるでグリーンのベルベットを敷き詰めたかのような、柔らかな苔の絨毯です。
「十牛(じゅうぎゅう)」という名前は、禅の教えに由来しています。
人間にとっての「本当の心地よさ」や「あるべき自分の心」を、
一頭の野生の『牛』に例え、迷いながらもその牛を探し求め、
やがて手なずけ、最後には牛のことすら忘れて、自然のなかに溶け込んでいく――。
その心の成長のステップを、十枚の絵で表した「十牛図」の世界観が、
このお庭の空間全体を使って表現されているのです。
かつて、十万個の文字を使って
「外側の世界」を豊かにしようとした家康公の学校。
そしていま、言葉をそっと手放して、ただ緑の美しさのなかで
「自分の内側の心」と静かに向き合うためのお庭。
かつて家康公が人々に知を届けようとした場所で、
いま私たちは静かに自分自身と向き合う。
四百年以上の時を隔てても、
この場所が多くの人を惹きつけてやまない理由は、
きっとそこにあるのでしょう。圓光寺の庭に吹く風は、今日も変わらず、
私たちの心をそっと整えてくれています。
🌸カメラの設定を誤ってしまい、写真が少し見づらいのもありますが、
当日の雰囲気を感じていただければ嬉しいです。




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