京都のど真ん中、お買い物客や
観光客で賑わう河原町通や寺町商店街。
そのすぐ目と鼻の先に、日本史のなかで
最も有名と言っても過言ではない、
歴史の特異点が存在します。
それが、法華宗の大本山
「本能寺(ほんのうじ)」です。
一歩その門をくぐると、さっきまでの
大都会の喧騒が嘘のように遠のき、
一瞬にして歴史の底へと
引きずり込まれるような、
独特の静寂が広がっています。

「本能寺の変」というあまりにも劇的な
ドラマの舞台として誰もが知るこの場所は、
ただの「悲劇の跡地」ではありません。
そこには、天下統一を目前に
命を落とした織田信長と、
その死を悼んだ人々の祈りと、
どれだけ打ちのめされても
決して諦めない、
お寺の圧倒的な生命力が息づいていました。
現代を生きる私たちが、
予期せぬトラブルに遭ったり、
すべてを失うような挫折のなかで
「もう一度、立ち上がろう」と思いたいとき。
なぜこの本能寺が、私たちに
静かな覚悟をくれるのか。
そのドラマを紐解いていきたいと思います。
遺骨なき主君のために、ただ一つの居場所を作った「信長公廟」
天正十年六月二日、未明。
織田信長は、家臣・明智光秀の謀反により、
ここ本能寺で激しい炎に包まれ、
四十九年の生涯を閉じました。
歴史の謎として今も語り継がれているのが、
「信長の遺体(遺骨)が
どこからも見つからなかった」という事実です。
炎がすべてを焼き尽くしたのか、
それとも光秀に首を渡さぬよう
側近がどこかへ隠したのか――。
主君の骸(むくろ)さえ見つからないという
凄まじい混沌のなかで、信長の三男・信孝が、
変のすぐあとに建立したのが、
境内の奥にひっそりと佇む
「信長公廟(しんちょうこうびょう)」です。
ここには、信長が
最後に身につけていたとされる、焼け残った衣服や
刀などの遺品が納められています。
歴史の表舞台では「魔王」と恐れられ、
孤独に天下を追い求めた信長。
けれど、すべてが灰になってしまった
あの夜のあと、彼の魂が
迷子にならないようにと、深い愛をもって
「あなたが眠る場所はここですよ」
と居場所を作った人々がいました。
いまも、絶えることなく供えられている
お線香の香りのなかに身を置いていると、
激しい戦いの果てに
ようやく静かな時間を得た信長の魂が、
ここに眠っているような気がして、
胸がじんわりと熱くなります。

五回燃えても蘇るお寺と、看板に隠された悲切なる祈り
本能寺の歴史を深く知ると、
このお寺そのものが、
信長の生き様にも似た「壮絶な不屈の魂」
を持っていることに気づかされます。
実は、本能寺が焼失したのは
「本能寺の変」のときだけではありません。
室町時代の創建から数えて、
京都を襲った度重なる大火や戦火により、
実に【計五回】も、お堂がすべて灰になるという
壊滅的な被害を受けているのです。
現在の本能寺がある場所も、
変のあとに豊臣秀吉によって移築された場所であり、
その後も江戸時代の天明の大火や、
幕末の蛤御門の変(禁門の変)で、
何度も何度も焼き尽くされてきました。
一度すべてを失うだけでも、
人は立ち上がれなくなることがあります。
けれど本能寺は、そのたびに不死鳥のように、
灰の中から力強く立ち上がってきたのです。
その悲切なまでの「祈り」の跡が、
お寺の看板(表札)に今も遺されています。
本能寺の「能」という文字を
じっくり見てみてください。
右側の右側の「ヒ(火)」を避けるように
「去」に変えたとも伝えられています。
「もう二度と、
大切な場所を火(ヒ)で失いたくない。
火が去ってほしい」
文字の形を変えてまで、この場所を守り、
未来へ繋ごうとした人々の執念。
燃やされても、壊されても、
決して「終わり」にはしないという
圧倒的な生命力が、
この静かな境内には満ち満ちていました。

巡礼を終えて。いまを生き抜く「覚悟」をもらう
宇治の興聖寺では「心の余白を調える静けさ」を。
山科の折上稲荷神社では
「ひたむきに生きる優しさ」を学びました。
そして、この京都のど真ん中にある
本能寺が教えてくれたのは、
「何度すべてがゼロになろうとも、
またここから始めればいい」という、
どこまでも力強い覚悟でした。

私たちの日常でも、一生懸命に
積み上げてきたものが一瞬で崩れ去ったり、
思いもよらない裏切りや挫折に遭って、
目の前が真っ暗になることがあります。
そんなときは、
寺町商店街の賑わいから一歩入って、
本能寺の信長公廟の前に立ってみてください。
すべてが炎に包まれたあの日から、四百数十年。
主君を想う人々の祈りも、
お寺を蘇らせようとした人々の執念も、
すべてがこの境内のなかに
「変わらぬ静寂」として生き続けています。
「終わらせなければ、何度でもやり直せる」
境内を渡る風が、不屈のエネルギーとなって
背中をそっと押してくれるような、
明日を生き抜く強い力を授けてくれる大切な場所でした。



コメント