興聖寺。琴坂のせせらぎに耳を澄ます、五感の禅の世界

興聖寺 社寺巡礼

宇治川の力強いせせらぎと、
観光客の賑やかな声が響く宇治の街。

朱色の朝霧橋を渡り、
川の東岸へと歩みを進めると、
ふっと空気が変わる瞬間があります。

賑わいが少しずつ遠ざかり、
代わりに耳に届くのは風の音と鳥の声。

そんな静けさの先、
山の懐に抱かれるように佇んでいるのが、
曹洞宗の開祖・道元禅師が
日本で最初に開いた道場、仏徳山・興聖寺です。

ここは、京都のお寺のなかでも、
とりわけ「音」が美しい場所。

水の音。
風の音。
鳥の声。
そして、自分自身の呼吸の音。

普段は気にも留めない小さな音たちが、
このお寺では驚くほど鮮やかに耳へ届きます。

忙しい毎日のなかで、
私たちはいつの間にか、たくさんの情報や
考え事で頭をいっぱいにしてしまいます。

そんな心に、
「今、この瞬間に耳を澄ませてみませんか」
と、そっと語りかけてくれる場所。

今回は、水の音と青もみじに包まれながら、
五感で味わう
禅の世界を歩いてみたいと思います。

宇治川の鼓動から、お琴の音色へ ―― 琴坂

興聖寺の巡礼は、
山門をくぐる前から始まっています。

参拝者を迎えてくれるのは、
このお寺を象徴する参道「琴坂」。

頭上には、
初夏の光を受けてきらめく青もみじ。

足元には、
石垣の間をさらさらと流れる清らかな水。

「琴坂」という名前は、
この水音が由来だと伝えられています。

せせらぎの響きが、
まるでお琴の音色のように
美しく聞こえることから、
そう呼ばれるようになったのだそうです。

宇治川の豪快な水の音が、
坂を登るにつれて少しずつ遠ざかっていく。

代わりに聞こえてくるのは、
自分の足音と水の音、
そして風に揺れる木々の葉擦れの音。

ただ坂を歩いているだけなのに、
心の中に積もっていた雑音が、
一枚ずつ剥がれ落ちていくような
不思議な感覚を覚えます。

道元禅師が伝えた「ただ坐る」という教え

琴坂を登り切ると、
白い漆喰が美しい山門が姿を現します。

深い緑を背にしたその姿は、
まるで日常と聖域を分ける結界のよう。

門をくぐった瞬間、境内には禅寺特有の
凛とした静けさが満ちていました。

興聖寺を開いた道元禅師が説いたのは、
「只管打坐」。

何かを得るためではなく、
何かになるためでもなく、

ただ、坐る。

ただ、今ここに在る。

そんな教えです。

本堂の静寂のなかで、
自分の呼吸に耳を澄ませていると、
「何もしない時間」が、こんなにも
豊かなものだったのかと気づかされます。

声なき歴史に耳を澄ます ―― 血天井

興聖寺には、もうひとつ
「耳を澄ます場所」があります。

それが、
伏見城の遺構を移したと伝わる血天井です。

関ヶ原の戦いの前夜、
城を守った武士たちの最期の記憶。

その歴史を忘れないために、
そして供養するために、
床板は天井として
寺に迎えられたと伝えられています。

かつて激しくぶつかり合った人々の想いも、
今はこの静かな禅寺の空気のなかに、
そっと溶け込んでいるようでした。

言葉はなくても、
歴史には確かに「声」があります。

興聖寺は、その声なき声に
耳を澄ます場所なのかもしれません。

耳を澄ますということ

帰り道、再び琴坂を下りながら、
不思議なことに気がつきました。

行きに聞いた水音よりも、
帰りに聞く水音の方が、
ずっと優しく、ずっと鮮やかに聞こえるのです。

景色は同じ。

変わったのは、きっと私の心の方。

情報があふれ、
常に何かを考え続けている現代だからこそ、
ときには立ち止まり、ただ風を感じ、
ただ水の音を聞く時間が必要なのかもしれません。

初夏の興聖寺は、訪れる人の心に
静かな余白を残してくれる場所でした。

宇治川の鼓動から始まり、琴坂のせせらぎへ。

そして最後には、自分自身の心の声へ。

そんな小さな旅を、五感で
味わわせてくれるお寺だったように思います。

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