無病息災を願う
「御手洗祭(みたらいまつり)」に合わせて、
蚕ノ社へと向かいました。
静かな住宅街を歩いていると、
突如として目の前に現れる、
青々とした木々の緑。
「ああ、あそこだな」
周囲の家々に囲まれながらも、
そこだけ空気が少し違って見えるので、
迷うことなくすぐに場所が分かります。
夏の明るい日差しの中で、
境内の緑はひときわ濃く、
まるでそこだけ別の時間が流れているようでした。
鳥居のすぐ近くでは、
虫取り網を手にした親子らしきグループが、
ワイワイと楽しそうに虫を探しています。
「夏休みなんだなぁ」
そんなことを思いながら眺めていると、
どこか懐かしく、心がふっと和みます。
けれど、一歩鳥居をくぐって境内へ入ると、
外の気配がすっと遠のいていきました。
さっきまで聞こえていた子どもたちの笑い声も、
境内の中では少しやわらかく
響いているように感じます。

まずは本殿でお参りを済ませ、
今日のお目当てである
「元糺の池(もとただすのいけ)」
へ向かいました。
池の前に立つ鳥居をくぐり抜けると、
その奥に、あの神秘的な「三柱鳥居」が姿を現します。
柵があるため間近まで近づくことはできませんが、
木々の間から差し込む光が三柱鳥居を静かに照らし、
なんともいえない
幻想的な光景をつくり出していました。


ちなみに「元糺(もとただす)」
という名前を聞くと、
下鴨神社の「糺の森」を思い浮かべる方も
多いのではないでしょうか。
実は、下鴨神社の糺の森の元宮は
ここであるという伝承も残されています。
こうして京都のあちこちに残る
古い信仰を辿っていくと、
今は別々に見えている場所が、
遠い昔にはひとつの祈りで
つながっていたのかもしれない――
そんなことを想像するのも、
京都歩きの面白さのひとつです。
普段は水が枯れている元糺の池ですが、
お正月と、この御手洗祭の日には
地下水をポンプで汲み上げ、
池を満たしているそうです。
かつては一年を通して、きれいな湧き水が
こんこんと湧き出ていたともいわれています。
その池に、靴を脱いでそっと足をつけてみました。
「冷たい!」
思わず声が出そうになるほどの冷たさに、びっくり。
この日は、じりじりと太陽が照りつける暑い夏の日。
だからこそ、その冷たさが本当に気持ちよくて、
しばらくこのままずっと
足を浸していたいと思ってしまいました。


「お清めの神事」として来ているのに、
あまりの心地よさに、
「これは暑さをしのぐ水浴びなのでは……?」
なんて、少し罰当たりなことが頭をよぎり、
一人で小さく笑ってしまいます。
でも、もしかすると、
「冷たい水がありがたい」と感じる、
その素直な気持ちこそが、
御手洗祭のやさしさなのかもしれません。
昔の人々も、
暑い夏の日にこうして水に足を浸し、
その冷たさにほっとしながら、
家族の健康や無事を願ったのでしょうか。
無病息災を願う祈りは、
決して遠い昔の特別なものではなく、
暑さに疲れた身体を冷たい水で癒やすような、
そんな日々の
暮らしのすぐそばにあったのかもしれません。
形式だけではなく、冷たさがちゃんと身体に届く。
その心地よさの中に、自然と
「今年も元気に過ごせますように」
という願いが重なっていく。
そんなところに、
御手洗祭の素朴な魅力があるように感じました。


清々しい気持ちでお参りを終え、
境内から外へ出ると、ちょうど
屋台の荷物を積んだトラックが
到着したところでした。
私が訪れたのは午前中でしたが、
午後からは参道沿いに
賑やかな屋台が並ぶようです。
地元の子どもたちが、
嬉しそうに屋台を巡る姿が目に浮かびます。
京都の御手洗祭といえば、下鴨神社が有名です。
多くの人が訪れる大きなお祭りですが、
ここ蚕ノ社の御手洗祭には、
それとはまた違う空気がありました。
地域の方や地元の人々が中心となり、
この土地で暮らす人たちの
日常に寄り添うようにして、
静かに守られてきた夏のお祭り。
華やかすぎるわけではありません。
けれど、ちゃんと季節の記憶が残る。
そんな言葉が、蚕ノ社の御手洗祭には
よく似合うように思います。
冷たい水に足を浸したときの感触。
木々の濃い緑。
鳥居の向こうから聞こえてきた、
夏休みの子どもたちの声。
そして、これから始まるお祭りを待つように、
静かに準備されていた屋台。
どれも特別な出来事ではないのかもしれません。
けれど、こうした何気ない風景こそが、
その土地で暮らす人にとっての
「夏」になっていくのだと思います。

蚕ノ社の御手洗祭で足を浸した、
あのひんやりとした水の冷たさ。
「今年も元気に過ごせますように」と、
昔から人々が託してきた願い。
その祈りのそばで、私もまた、暑い夏を
無事に乗り越えられますようにと、
静かに願いました。
この先、夏の暑さに少し疲れた日には、
きっとあの日のことを思い出すでしょう。
蚕ノ社で足を浸した、あの冷たい水の感触と、
「今年も元気に過ごせますように」と願った、
静かな夏のひとときを。



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